バリアフリーを考える(3/10)

2023/03/10

子ども 障がい 政策 日記

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今日は知的障害のある子について、園の担任の先生と面談をしてきました。この一年間、体調不良の時を除いてほぼ毎日通ってきた結果、できることが増えてきたね、というお話でした。
更衣に興味を持つようになったので、靴下も前面プリントのものを用意するようにしたり、洋服も同じように前だけに柄のあるものを用意したり。
「服は絵が前って分かるようになりましたが、ズボンの前後ろがまだ難しいみたいです。前のところに印をつけてみると、お着替えがグンとやりやすくなるかも。」と言ってくださって、目から鱗でした。

分からないなら、分かりやすくすればいい。
できないって決めつけず、できるように工夫すればいい。

確かに、知的障害のなさそうな子も、時々肌着を逆に着たり、パンツの前後ろが逆だったりしますよね。印をつけると、健常な子でも分かりやすくなるんじゃないかな、と思いました。


標題のお話に関係あるんですけど、バリアフリーって、どうしても「バリアのある人(いわゆる障がい者)」が「やりやすくする」ためのものと思いがちですが、そんなに限定されたものとして意識するのではなく、「みんなが使いやすくなる」工夫として考えると、みんなにやさしくなります。ユニバーサルデザインという言葉もそうですよね。例えば、階段をスロープにする。これは「車椅子の人が移動しやすい/できるようにするため」ですが、重いキャリーケースを持って階段をのぼるより、引いてスロープをのぼるほうが移動しやすい。
例えば、シャンプーのボトルの蓋に印があると、「視力の弱い人が触れて中身を確認できる」けど、私たちだって目を開けずにシャンプーのボトルを見つけられるし、普段は見える人にも便利。
少しの工夫で、「みんなが使いやすくなる」。これが「バリアフリー」なんですよね。

きっと私が知らないだけで、世の中にはもっとたくさんの「工夫」たくさんの「バリアフリー」があると思います。今の世の中で、ある人々にとってちょっと難しいことを、みんなが便利になる工夫。その糸口はきっと色んなところにあるのでしょうね。

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